【連載】我的上海的生活【全10回】

「エシカル」定義のシフト

A Picture of $name 斉藤 霞 2012. 12. 19

你好! 上海はすっかり朝晩の気温がグッと下がり、アウターの滑り出しは好調です。上海で人気のアウターは防寒対策バッチリなこと、ダウンやファーがリアル(高級感が大切)であること、ウエストシェイプした女性らしいデザインであることがポイントです。冬の訪れとともに思い出すことは、初めてこの町に来たときのことです。私の上海生活もあっという間に10カ月がたちました。あっという間だったと感じながらもとても濃厚な日々を過ごし、もう2年くらい経ってしまったのでは? と錯覚してしまいそうです。この10カ月の間に、私は少しでも進化することができたのでしょうか?

chinese tea

まだまだまだですが、確実に進歩したのはやっぱり中国語です。かなりマイペースではありますが、この街に来るまでは誰でも知っている「你好」と「謝謝」という単語しか知りませんでした(それでよく乗り込んだな! と自分でも驚きます)。それから、お茶をたくさん飲むようになったことです。みなさんご存知の通り、中華料理はたっぷりの油で調理する魅惑の食事です。油の摂取量は確実に増えましたが、中国茶のお陰で体内に溜まった悪い油が分解されるのです。それゆえラッキーなことに、日本にいるときよりも痩せやすい体質に変わりました。

そしてなによりも、モノづくりの現場を実際に見て、触れ合い、そこで働く人の話を聞き、考える機会が増えたことです。現場が抱える問題がダイレクトに入ってくるのは時に私の器では収まりきらず悩むこともあります。しかし、問題があるからこそ改善の余地が生まれ良い方向へと進化していける、そう思うと未来がとても楽しみになります。

経済成長と仕事への意識の変化

工場事務所スタッフのデスク

工場事務所スタッフのデスク


最近、ある工場の方が私に打ち明けてくれた悩みをシェアしたいと思います。納期最優先のこの世界では、商品の出荷前は日付を越える残業もよくあることです。時計はすでに夜中12時を回り、薄暗いオフィスで一人、彼女はふと思ったそうです。「私は何のために頑張っているのだろう? 大切なものはなんだろう? 責任? お金? 心の平穏?」

私はこの悩みを聞いたとき、とても衝撃を受けました。日本にいるときは、自分を含めこうした悩みを持つ友だちや同僚をたくさん知っていたけれど、「ついに上海にもこの悩みがやってきた!」と、そんなふうに感じました。つい10年ほど前であれば、地方から働く場所を求め、多くの人々が上海近郊へ出稼ぎに行くということが普通でした。それも今や地方にも工場やショッピングモールなど、働く場所が増えたことでわざわざ出稼ぎに来る必要が以前よりはなくなってきたのです。これが意味することは、仕事への意識の変化が生まれるということです。「出稼ぎで必死に働いたお金は田舎にいる家族へ生活費として仕送りする」――そんなライフスタイルは、過去の現象になりつつあるのかもしれません。

中国の工場の進化に必要なものとは?

この出来事をとおして、あらためてエシカルファッションの定義がなぜあんなにも多様であるのか理解できたように思います。それぞれの環境で「エシカル」が大きく異なるからです。いまの日本であったら、伝統工芸や職人の素晴らしい技術を継承し広めることだったり、アフリカ諸国だったら働く場所の確保やその環境改善だったりします。ここ中国で仕事への意識の変化やビジネスの成長するにつれ、エシカルへの課題が少しずつ変わってきているのを感じます。

工場の方と打ち合わせをする際に、話題の中で「在庫の生地や付属を使いたい」「第三国へのオーダーが増えて、生産ラインに空きが出てしまっている」――こんな言葉を最近よく耳にします。「中国で生産すればなんでも安くできる!」もうこうしたうたい文句だけでは、大量な生産を受注できなくなってきているのです。今まで生産した在庫になっている生地や付属を今のマーケットに合わせてうまく提案できる工場、「これは中国でなくては作れない」というアイテムを提案する能力が求められ、それができる工場だけが生き残っていけるという状況になりつつあります。つまりネクストステージに必要なことは、「新しいモノをどんどん生産する」という考え方から「既存のモノに新しいアイディアを加えてリノベーションする」という考え方へシフトしていくことなのかもしれません。

街のブティック(個人商店)-1街のブティック(個人商店)-2
中国の個人商店

モノを生み出す責任を考える段階へ

これは、「エシカル」にも同じことがいえると思うのです。すでに私たちが作った工場ですでに世の中に存在する私たちが、少しづつでも考えを改めて、今までの「ただの消費社会」から新しい社会を作っていくのです。

中国製と聞くと、「大量生産」「環境に悪影響」のイメージが正直強いと思います。そういった観点で見れば、中国で生産することや新たにより安価な生産地を求めることは、エシカルではないと思います。しかし、そこに実際に生活している人がいる、誰かの人生がある限り、その実態を否定してなくす(仕事を奪う)ことは、エシカルとはいえないと思うのです。一気に世界中で完全にエコな工場などに作り変えて、そこで働く人もそのままということができるなら別ですが、現実的ではありません。
それならば、中国のファッションビジネスがネクストステージへと進む中で、既存の工場を残しながら、より良くするために必要なことを行うということです。

新しいモノを簡単に生み出せる世の中になっていけばいくほど、私たちは生み出したモノの尊さを見失っているように感じます。生産者サイドも企画サイドも日々の仕事の中で「モノ作り」がルーティンワークになってしまいがちです。それぞれがモノを生み出すこと、生み出した責任をもっと意識することが大切なのではないでしょうか?

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