ただ卸すだけじゃない「問屋だからこそ」の力を生かしてガラス産業を守る 専門問屋「木本硝子」の挑戦

null Hitomi Ito 2016. 4. 18

問屋とは、生産者から商品を買い入れてスーパーや百貨店などの小売に卸す「仲介役」。いま、その仲介役を取っ払って小売と生産者が直接取引する「流通の効率化」の動きがある。コストも下げられるうえ、サプライチェーンの透明化にもつながる。

その中で、あくまでも問屋として突き進むのが「木本硝子」。従来から存在する切子のグラスだけでなく、時代に沿った新しくモダンなデザインの切子グラスをプロデュースし、注­目を集めている。同社代表取締役・木本誠一さんに、問屋だからこその役目と力について尋ねた。

木本誠一(きもと・せいいち) 木本硝子株式会社代表取締役。

木本誠一(きもと・せいいち)
木本硝子株式会社代表取締役。
1978年明治大学卒業後、三菱電機(株)を経て、木本硝子(株)に入社。1990年に代表取締役に就任。問屋という位置づけから硝子食器専門のプロデューサーへと会社の立ち位置を変え、経営資源を商品開発に注力するため、一部の百貨店との取引を直接から問屋経由に変更。2009年、世界で初めての黒の江戸切子を開発・発売し、東京の伝統的工芸品チャレンジ大賞最優秀都知事賞を石原都知事から表彰。その後も国内外の展示会やギフトショーで多様なコンセプトのグラスウェアを発表し、高い評価を受けている。

うちは問屋。生産設備も職人も抱えてません。その代わり、問屋だからこそのネットワークと情報を持っています。それを生かして、デザイナーと職人をつないでプロデュースを行っていますーーそうやって、商談でもどこでも言い切ってるんです。

そう話すのは、木本硝子代表取締役・木本誠一さん。創業昭和6年の硝子食器専門問屋を経営する。

同社が注目を集めているのは、さまざまなデザイナーと共同で開発した斬新なガラス製品の数々。

デザイナー・木下真一郎とコラボした黒の江戸切子「KUROCO」を皮切りに、プロダクトデザイナー・平瀬尋士デザインの黒の江戸切子「MOON」、梅野聡による水引がモチーフの「MIZUHIKI」、女優でありガラス造形作家でもある川上麻衣子デザインの「FLICKA」、ワインボトルをアップサイクルした「funew」など、次から次へと、斬新なガラス製品を送り出し、市場を驚かせている。

江戸切子の曲線で月を描いた「MOON」 (写真・右→左:moonホワイト/ オールド frost、moon ブラック / オールド frost、各¥40,000+税)

江戸切子の曲線で月を描いた「MOON」
(写真・右→左:moonホワイト/ オールド frost、moon ブラック / オールド frost、各¥40,000+税)

「水引」をあしらった「MIZUHIKI」(2個組、¥3,000+税 / ¥3,500+税)

「水引」をあしらった「MIZUHIKI」(2個組、¥3,000+税 / ¥3,500+税)

女優・川上麻衣子がプロデュースした「FLICKA」シャンパングラス(¥3,500+税 / ¥5,000+税)

女優・川上麻衣子がプロデュースした「FLICKA」シャンパングラス(¥3,500+税 / ¥5,000+税)

ワインボトルをアップサイクルしたシリーズ「funew」。テーブルウェアをはじめ、幅広いライフスタイルグッズを手掛ける。

ワインボトルをアップサイクルしたシリーズ「funew」。テーブルウェアをはじめ、幅広いライフスタイルグッズを手掛ける。(Photography: Courtesy of Kimoto Glass)

木本硝子は、もともと「問屋」。ガラス食器をメーカーから仕入れ、小売店に卸すのが仕事だ。松坂屋などの百貨店専属の問屋として始まり、そごう、長崎屋など全国の百貨店が卸先だった。

なぜ、これら取り組みが可能になったのか? それを知るには、時代の波を乗り切ってきた木本さんの大胆なチャレンジの歴史を、まず紹介しよう。

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大胆なチャレンジの連続

木本誠一さんは、1990年に代表取締役に就任後、既存の百貨店とは「真反対のお客さま」ともいえる量販店との取引を開始し、攻勢に出た。

続けて、当時日本では限られた仕入れ先だったヨーロッパへも進出。ヨーロッパは、ベネチアングラス、ボヘミアクリスタルなどガラスの源流があり、工場も多い。木本さんは自らヨーロッパを訪ね、チェコスロバキア、ルーマニア、ポーランド、スロベニアなどの工場から、直接買い付けを行った。商社の何倍も早いスピードで取引が成立。新しい商品を次々と日本に持ち込んだ。

加えて、それら工場とのオリジナル製品の開発も始めた。「他の企業と同じ商品を取り扱うと、価格競争に飲み込まれる。しかし自社でしかできないオンリーワンの商品なら、その争いを避けられる」。

このとき、折しも景気悪化と増税が重なった。しかし、このヨーロッパ進出が、数多のガラス食器問屋が倒産していく中で、持ちこたえる要因になった。

私の見立てでは、問屋が潰れるというのは、売上が下がって潰れるのではない。商品調達ができなくなるから潰れる。問屋は自分でものを作っていない。なのにメーカーがなくなれば、卸先のニーズに応えたくても応えられない。

時代の逆風はチャンスになった。

ヨーロッパで生産した自社製品を生かし、いままでとは違うものを求めていた百貨店・小売店との取引を開拓していった。社員も4人から30人に増やし、卸先の拡大に奔走した。しかしーー

俺もそのとき若かったから、量販店も百貨店も、このままどんどん取引先を増やせば、日本のガラス業界、俺が全部獲れるかなって思っちゃったんだよね(笑)。

この上昇気流が「奈落の底へのスタートだった」とも振り返る。

百貨店を相手にしても利益は薄かった。社員を増やしたものの、「私のマネジメント能力も足りなかった」。

出血を止めるべく、大幅なリストラや業務整理へ。それを終えた2008年夏、ちょうどリーマン・ショックが起こった。

「問屋だからこそ」の力に気がついた

ギリギリで間に合いはしたが、景気はどん底。これからどうやって生き残るべきか?

加えて、これまで海外の工場でものづくりをしてきて、国内の工場・職人を潰してきたのではないかという、「負い目」というべき感情も、木本さんにはあった。

ならば原点に立ち返り、国内でのガラス商品を開発して、東京の地場産業を活性化させていこう。

そこで目をつけたのは、「デザイン」だった。

「伝統の技術、職人の心意気を守ろう」といえばみんな賛成する。でも若い女性に江戸切子を見せて「欲しい?」と聞いたら、「すごく手が込んでてたいへんなのは分かるけど、欲しくない」って言う。つまり、いまのライフスタイルに、デザインが合っていないんだな、と思った。

そこで外部のデザイナーを巻き込み、2年掛けて最初に作ったのが黒の江戸切子「KUROCO」だ。

重金属を入れて発色させるガラス。いままで「黒」はなかったという。かつてない新色を作るのに1年半掛かった。加えて、黒だと切子職人が削るときに手元が見えない。職人たちにとっても、いままでにないチャレンジとなった。

重金属を入れて発色させるガラス。いままで「黒」はなかったという。かつてない新色を作るのに1年半掛かった。加えて、黒だと切子職人が削るときに手元が見えない。職人たちにとっても、いままでにないチャレンジとなった。

「KUROCO」は第5回東京の伝統的工芸品チャレンジ大賞を受賞。これを機に、興味を持ったデザイナーたちが「自分もやりたい」と集まってきた。

そして木本さんの中に、確信が生まれた。

問屋だから「こういう商品なら、どこそこの工場。職人の誰それさん。いくらで作れる」というのが、固有名詞で分かる。お客さんもいるし、そのお客さんの都合も分かる。なら、私はプロデューサーになって、デザイナーと職人のチームを作り、売り先に持っていく役目をしたらいい。

早速、次々とデザイナーを巻き込み、プロデュースを開始。同時に、『LOFT』や『UNITED ARROWS』など、商品に合わせて新しい販路も開拓した。

人の目に触れる機会が増えるとみるみる好循環が生まれ、自動車メーカーなどの異業種からも「新しい取り組みをしたい」という声掛けも増えた。店舗装飾の相談などもあるという。

人の輪が広がれば広がるほど、可能性も増えていく。培ってきたネットワーク力が、ガラスの未来を広げている。

ガラスの未来を目指して

ここでガラスの歴史は、明治の富国強兵政策まで遡る。以来、都内は墨田区・江東区・江戸川区の川沿いを中心に、手作りのガラス工場が発展。切子など、加工の職人も周辺に集まり、当時は数千にも上る企業が川沿いに集まっていた。

しかし1916年、アメリカで開発された自動製びん機が日本にも導入され、大量生産が可能に。手作りならば、シンプルな300mlガラスコップを4人一組で1日500個を作る。それが量産だと、1日で約5万個も作ることができるほどのスピード。商品の品質も、より均一に仕上がる。都内の工場は一挙に倒産を始め、現在都内に残る手作りのガラス工場は3社のみ。切子職人も、約百名ほどという。

そうした状況の中、今後の木本硝子の目標を尋ねた。

都内のガラス工場と、ガラスに関係する職人の仕事が増え、後継者が増えればいい。そのために単価を上げなければいけない。我々はそのために努力していくのみ。これからも、問屋ならではのネットワークを生かして、国内外・業界を超えて人をつなぎ、販路をつないでいきます。

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木本硝子

問い合わせ:03-3851-9668(代表)
Website:http://kimotoglass.tokyo/

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