【連載】素材を知る旅〜真のラグジュアリーを求めて【全10回】

ウールと羊と人間の関わり

A Picture of $name 寺本恭子 2014. 5. 12

とても身近な素材である「ウール」は、原料名では羊から採れる毛のことをいいますが、ムクムクした白い毛のあの羊の姿は、一万年もかけて人間が改良してきたものだということをご存知でしたか? 今回は、現在私が知る限りの知識をもとに、奥深いウールのお話をしたいと思います。

羊と人間の歴史

羊の牧畜は、メソポタミアの一地方(現在の北イラク)でB.C.9000〜B.C.7000に開始されました。羊の原種は、ムフロンやアルガリなどの品種ですが、ぜんぜんムクムクしていないし、色も白くありません。羊は従順で群れをなす習性があり、家畜化が容易だったようです。人といっしょに移動できることも遊牧民にとって貴重な条件でしたし、それ以上に、動く繊維工場であり酪農工場であり、食肉工場であるという、いまと変わらぬ羊の多様な有用性が、人間と早くから共存してきた理由と考えられています。

羊毛(フリース)は、実は二層になっていて、上毛(ヘアー)と下毛(ウール)に分かれます。もともとのヘアーは、ある程度の長さはあるけれど硬く、糸などを作るには不向きなものでした。一方のウールも、もともとは産毛のようなもので、柔らかさはあるのですが短すぎてうまく利用できるものではありませんでした。そこでいかにヘアーを取り除き、柔らかくて紡ぎやすいウールを増やしていくかが、メソポタミアで羊牧畜が始まった当初から続けられてきた品種改良の大きな目的でした。

さまざまな品種のウールサンプル(資料:スピナッツ、筆者撮影)


さまざまな品種のウールサンプル(資料:スピナッツ、筆者撮影)

いま私たちが、衣類に一番利用しているのは、毛が細くて弾力があるメリノ種の羊の毛で、例の白くてムクムクの羊です。実はメリノは人間が改良を続けた結果、ウールが全てヘアーと同じ長さとなり、長く柔らかい毛がたくさん採れるようになった羊なのです。毛の長さは10センチ足らずですが、あんなにムクムクして見えるのは、一頭の羊から多くの毛が採れるよう、皮膚の表面積が広くなるよう改良されているから。毛を刈ってみると、メリノの皮膚がギャザーを寄せている様にうねっているのが分かります。

もう野生には戻れない

ウールは自然には脱毛しません。野生だった頃の羊は、毛刈りなんて必要なかったはずですが、現在のようにウールがたくさん採れるように改良された羊たちは、自力では脱毛できなくなってしまいました。もし人間が刈らなかったら、毛はどこまでも伸び、雨に濡れればその重さに耐えられなくなり、死んでしまうかもしれません。虫も湧いてしまうでしょう。

コリデール、シェットランド、チェビオット……世界にはたくさんの種類の羊がいますが、メリノほど改良が進んでいない品種には、まだ自力で脱毛できるものもあるようです。でも、その羊毛をビジネスとして利用する場合、広い牧場の中であちこちに抜け落ちた毛を集める作業はたいへんですし、ゴミもたくさんついてしまいます。それならば抜け始めたタイミングで、人間が刈ってしまったほうが効率的です。しかしそうすると、その羊は自力で脱毛する能力を失ってしまうそうです。いずれせよ人間が改良してきた羊は、もはや人間の手を借りなければ生きていくことができません。

痛そうな断尾とミューズリング

羊の尻尾って見たことありますか? いつも短いですよね? ところが、本当は長いのです!

昨年、北海道の「茶路めん羊牧場」に羊を見に行ったのですが、生まれたての羊たちは、みなひょろひょろと長い尻尾をつけていました。人間が改良したものですから、このままにしておくと尻尾にもムクムクと毛が生えてしまいます。排泄物がこの毛に付けば、感染症を起こしやすくなります。交配の際にも、発情している羊を見分ける作業の邪魔にもなるので、羊の尻尾はみんなカットされるのです。

その事実を知ったときは、私も「えー! 痛そう〜! 可哀想……」と思いました。しかし実際に見学してみると、その作業は生まれたばかりの仔羊のうちに、尻尾の付け根辺りにゴムを巻かれるだけというもの。そのうち自然に壊死してしまうのです。仔羊たちが痛そうにしている様子は全くありませんでした。

断尾中の仔羊たち(茶路めん羊牧場にて筆者撮影)

断尾中の仔羊たち(茶路めん羊牧場にて筆者撮影)

オーストラリアで肉バエの発生を防ぐため、行われている羊の尻の皮膚を切除する「ミュールジング」と呼ばれる措置も、問題視されています。一生で一回だけの作業ではありますが、皮膚を剥ぎ落とすなんて確かに痛そう……でも、肉バエが付けばもっとたいへんです。きっと、改良される前の羊は、自分の尻尾でハエを追い払うことができたのかもしれません。

羊の人間の深い係わり

羊は一万年も前から牧畜・改良され、人間の宗教・利害関係・文明に関わってきました。産業革命も、羊毛の紡績機械を作ることから始まりました。「ウールの利用はエシカルかエシカルでないか?」と考えるとき、結局「一万年かけて、人間が野生の動物を飼い慣らし、人間の都合の良いように改良し続けてきたこと自体、エシカルかエシカルでないか?」という問題に行き着いてしまいます。

人間が自然の営みに手を加えると、どこかで矛盾としわ寄せが起こります。一万年も掛けて先人たちが改良してきた羊は、簡単には元に戻れません。しかしその改良を否定することは、いままでの文明、ひいては私たちの存在そのものを否定することにもつながります。

「ミュールジングや断尾はかわいそうだからエシカルでない」「ウールは生分解性があるからエシカルだ」……そのいずれも正論ですが、それら意見が対立するのも、きっと羊が人間が作り上げてきた動物であるがゆえなのだと思います。

私たちがファッションにウールを使用することの是非、その適切な使用量、使うべきウールの種類……いまの私には、明確な答えは見つかりません。長く深い羊のストーリーを全て理解できたら、その答えを見つけることができるのかもしれません。今度、ウール素材に触れるときは、そんな一万年の羊のストーリーに思いを馳せてみてください。きっと、現代社会を考える、新たな視点が生まれてくると思います。

この記事のキーワード

Keywords

Sponsored Link
この連載のほかの記事

Backnumber

ほかにも連載

Find More Series